東京Ruby会議13に参加した。感想と持っていった本の解説

tokyorubykaigi-13.connpass.com

タイトルの通りです。

持っていった本の解説

connpassの参加者への情報にはおすすめの本・レアな本を持って来いと書いてあったので、単に技術書持ってくるだけだったら最近のRubyKaigiにはささださんの本屋があるので面白くない、ということで3点ほど「そうでない」「日本でレアめの」「ただしいちおうRuby/オープンソースの趣旨に関係のある」本を持ってきました。

Robert M. Pirsig "Zen and the Art of Motorcycle Maintenance" (1974)

日本語タイトルは『禅とオートバイ修理技術』、紙の日本語版は絶版、電子書籍版は今でも売っています。

Rubyとオープンソースがなかった頃に書かれたRubyとオープンソースの本、と言っても過言ではない。バイクの修理という「古典的」な、メカニカルな世界と、ツーリングという「ロマンティック」な世界は、「質」(Quality)という次元で対立を和解することができる。オープンソースという営みもそうではないか?

RubyKaigi 2026の帰りに自転車旅行をやって本書で語られていることへの実感がより強くなった。実質RubyKaigiかもしれん。

Stewart Brand "Maintenance: of Everything" (2025)

本邦未翻訳。

メンテナンス、標準化、オープンソースは一つに繋がっている! "The Whole Earth Catalog"などを通してシリコンバレーの思想的背景を築いたとされる著者が挑む、メンテナンスのすべて、すべてのメンテナンス、についての本の第1巻。第1章では単独世界一周無停泊航海レースに挑んだ競技者のメンテナンスとの向き合い方がどのように結果に現れたかという影響を、第2章では車と兵器のメンテナンスの歴史を振り返り、工作技術の向上が交換可能な部品を産みメンテナンスの可能な機械を産み戦争の勝敗を分けた、ということが論じられている。

Books in Progressという共同編集ツールを使って読者からのフィードバックを受けて原稿を改訂するという共同作業を行っており、その過程の読者のコメントも見れる形で出版されている。

Timothy Snyder "On Freedom" (2024)

本邦未翻訳。

自由とは、悪の不存在だけではなく、善の存在である― アイザイア・バーリンの二つの自由論)はえにしテック15周年カンファレンスの高橋会長のトークによってRubyistにはなじみのある概念となっただろう。その中でバーリンは積極的自由の追求が消極的自由の破壊につながるとして警鐘を鳴らしたが、著者は戦争下のウクライナでのインタビューを通して、自由とは消極的自由だけでは不十分で、目的を持った善を為すことが必要である、と説く。消極的自由、権力の横暴から自由であるだけでは、将来世代が目的を持って生き、発展するための自由は得られない。そのために求められる要素として、sovereignty(独立性・主権)、unpredictability(予測不可能性)、mobility(移動可能性)、factuality(事実に基づくこと)、solidarity(共感)が必要である、と説いている。

Rubyは性能の追求という「悪の不存在」の追求のみにとどまらず「包丁の持ち手がすべすべだと嬉しい」という「手触り」の追求、「善の存在」の追求も1st class citizenであるとしているプログラミング言語であり、多くのRubyistにとって本書のテーマは身近に感じられるのではと思って選んだ。これは特に早く日本語が出てほしい。同著者の理念よりもより実際の話をしている"The Road to Unfreedom"も昨今の情勢を理解する上でおすすめ(だが実際の政治のトピックを扱ってるぶん"On Freedom"ほど広くのおすすめはしにくい)。

セッション感想

他のトピックと絡めて話したいことがまあまああるので、そのうち別の記事にエッセンスがまとまって吐き出されると思います。オーガナイザー視点(RubyKaigi 2025のローカルオーガナイザー)もコミュニティを支える団体視点(Internet Society日本支部のOfficer)も登壇者視点(いろいろ)も全部やったことがあったのでそれぞれ共感するところと自分の固有の意見を持ってるところとあっていい体験でした。

sorah「うらがわの景色」

RubyKaigiローカルオーガナイザー完全攻略ガイド にて大人の事情で、というか「私ごときが言うと角が立ちすぎる」というので言わなかったことを全部あけっぴろげに言ってくれていて本当によかった。そうなのよなあ…RubyKaigiについていうと「ざらざらした部分」のほとんどを担っているのがsorahなのよなあ…。

高橋征義「うちがわのうらがわ」

直前まで本当に「うらがわのうらがわ」だと思っていた。Rubyの会っていうインターフェースが用意されているのは(アソシエーションに対する)コミュニティ側としてはとても便利。実際「コミュニティ」がイベントを開くことについて地方自治体の施設ですらあまり好意的ではなく「アソシエーション」の形つまり法人格を持っていることが求められるというのは最近地元でも体験した。

これはXがrate limitしたので避難先である個人サーバーに書いた内容(リンクは14日で消える)。コミュニティ活動をする人を増やしたい、はあるけれど、それに直接のメリットを求めて動く人が増えると事故が起きるというのは楽団のほうで経験をしており…

緞帳のうらがわに回ることにメリットを求める人間、逆に回るべきでない、という認識をしてる

https://mstdn.cryptic-command.net/@s01/116820576794290727

金子雄一郎「緞帳が上がるとき」

Parser界の黎明卿による、登壇するときに何を考えているかの話。知ってたけどこの人めちゃくちゃ考えてギミック仕込んでくるしめちゃくちゃ考えて普段の行動にそれが反映されてるんですよ…怖いくらいに…。

なお「黎明卿」呼びについて、「登壇がキラキラしていてみんな目指してる」みたいな最近Xで見た話について感じていることはこれ:

あとは何度も本人に言ってるんだけど完全に「CfPがオートマチックに通る側の人間」の発想すぎて一般人は参考にならない。いや炬燵さんも参考にしてほしいと思って呼んでないだろうとは思うが…。金子さんを「そういうコンテンツ」として呼んでるだろうと思うのでこのイベントがどれだけ「気の触れた」イベントであるかということである。

おわりに

たまにはこういう気の触れたイベントもいいですね。RubyKaigiに私が求めているものが「技術を通した人間性の発露」であることであることが言語化できた気がする。気の触れたと言っているのは狂気という人間性が発露されているのでいいことである。なのでえにしテック15周年カンファレンスを受けて書いたこれかもしれない。現代の情勢を受けて書き直すならば、「ソフトウェア・技術を通して人間関係のエクササイズ・人間性の発露をしていかなければ、我々はAIによるクソの濁流に身を沈めることになってしまう」。